嫉妬を作る心
自分の内面に目を向けず、自分の外側にばかり目を向けていると、心豊かに生きることはできんぞ。足るを知りなさい
といってミコちゃんのハートにがっちりと釘を打った老子先生のお言葉シリーズ、第二弾でございます。
老子先生!自分のうちがわって意味がわかりません!
人生経験が少ないリコちゃんには、「自分の内側」という意味は難しかったようです。私だってうまく説明できません。ですから、今日も老子先生にお答えいただきましょう。
まず、目を閉じて、自分が今、何を感じているか言ってごらん
うーん。何にも感じません
無心ということじゃな
虫ですか?
うーん。話が変な方向に行きそうなのでちょっと修正しますね。
老子先生がおっしゃったのは「無心」で、
無心であれば偏った考え方は持たない
と説いていらっしゃいます。
でも今回のテーマは「自分の内側を見る方法」ですので、このテーマにそって老子先生にお答えいただきましょう。
自分の内面に目を向ける、ということはじゃな、今何を思っているか、常に自分に問いかけよ、ということじゃ
自分が何を思っているか、ということを
それが自分の内側に目を向ける、ということらしいです。
欲しい!と思う理由が自分の中に本当にありますか?
ということを問い続けることで、自分にとって本当に必要なものがわかるようになる。
だから、まず、自分に聞いてみなさい。ということみたいです。
自分の心、ということですが、自分の心=自我、って感じかなって思ってます。
自分の中の「自我」の割合を算命学の占いでだせます。
自分と同じ「気」が宿命の中にどれぐらい含まれているか、ということです。
下のグラフの人は自我のエリアが0%です。
この人が自分の心の内側を見つめて、と言われても、ちょっと辛いものがあると思います。
「心が無い」というわけではないのですが、心という入れ物の中に入っているものが自分ではないのです。
周りの人間の価値観や希望がその人の心に入っているのです。ですから、いくら自分の内側を見つめても見えてくるものがありません。
だったら、自我のない人は永遠に本当に自分が欲しいものがわからないのか、というとそうではありません。
人間には心の他に「感覚」というものが備わっています。心ではなく身体が感じるのです。
「心」
が感じるより以上に
「身体」
が感じます
寒い、暑い、お腹がすいた、身体のどこかが痛い、やる気がでない、身体が重い、などです。心が悲鳴を上げるより前に身体が悲鳴を上げるのです。
嫉妬心とは、自分にないものを求める気持ちですね。
なにかが猛烈に欲しくなった時!
頭が痛くなりませんか?
喉が痛くなりませんか?
老子先生がおっしゃる
「自分の声を聞く」
それを実践すると心が豊かになる。そんなことを言われても実践するのは難しいです。
自分の声って言われても、気持ちはコロコロ変わるから、どれが自分の声なのかわからないです。
助けてください!老子先生!ということで、次回に続きます。
次回、乞うご期待!