こんにちは。ねうしです。
以前、田野うづわ(@uzuwa )さんの記事をまねして、鑑定の流れの記事を書きました。
で、田野うづわ(@uzuwa )さんがまた記事を書かれたのでまた、まねをして記事を書こうと思います。
今回は「占い師になる方法(なるまで)」です。
私が占いに興味を持った理由と、プロの占い師として活動するまでにしてきたことをお話します。
始まりは西洋占星術
占いに興味を持ったのは、小学校の頃です。
学校の図書室で占いの本を借りて読んだり、家にあった雑誌の占い特集記事を読んだりして、占いの世界にワクワクしていました。
占いの中で最初に興味を持ったのは、西洋占星術でした。星の配置で運命がわかるなんて、神秘的で素敵だなと思いました。
本を見ながらホロスコープを書いて、意味を調べていましたが、計算が大変だったので、自分のことを調べた後は、他の占いに興味が移りました。
四柱推命の本を読む
西洋占星術に続いて、四柱推命の本を読み始めました。
自分の出生時間を知っていたので、命式を出すのは簡単でした。しかし、意味が複雑で解釈がわかりにくかったため、面白さを感じることができず、四柱推命もやめてしまいました。
若かった私には、四柱推命の意味や解釈を理解するのが難しかったようです。
手相を習いに行く
西洋占星術はホロスコープ作成に時間がかかる、四柱推命は私には理解できない。
理解できないから関心が薄れ、結婚して子どもが2人生まれて育児に追われていた頃の私は、占いの本を読むのをやめていました。
でも、子どもが学校に行き、時間に余裕ができた私は、占いの勉強をしっかりしたいと思うようになりました。そして、家から通えるという基準で選んだ大阪駅の近くにある占いの学校に行くことにしました。
占いの学校で手相のプロコースを週に1回、2時間の授業を1年間受け続け、合計50回、時間にして100時間の授業を受けて50万円支払いました。
授業の内容は、講師がホワイトボードに書いた解説を、手の絵だけが書かれたテキストに自分で書き込んでいくもので、講師が変わるたびに内容が微妙に変わる怪しい授業でした。
算命学を受講する
占いの学校で手相の授業を1年間受けたのですが、手元に残ったのは私の汚い字が書き込まれた、役に立ちそうにもないテキストだけ。
もっと占いを勉強したい!
と思った私は学校からすすめられるまま、算命学のコースを受けることに。
週に1回、2時間の授業を1年間で50回受けて50万円の支払い。
手相と合わせると100万円支払ったことになります。
100万はちょっと高いな、と思ったのですが「紫微斗数」の教室にも通っているクラスメイトが「占いの学校は高いからこんなもんだ」と言っているのを聞いて、納得して通っていました。
算命学という中国の占いの授業では、秘伝みたいな内容を教えてもらえるかも知れない、と期待していたのですが授業は手相と同じ。
講師がホワイトボードに書いた解説を、ほとんど空白のテキストに自分で書き加えていくだけのもので、講師が変わるたびに内容が微妙に変わる、というのも同じでした。
もちろん秘伝は教えてもらえませんでした。
ショッピングモールの
占いコーナーの占い師になる
占いの学校に2年間通っただけでは占いの実力はつかない、100万円では足りないのだ、とあきらめの気持ち半分、ちょっとわかったという気持ちが半分。
自分の中にちょっとわかったという気持ちがあったので、占い師として、占い学校が運営している占いの館やイベント場所で働かないか、という話にのることにしました。
お金をいただいたお客さまには申し訳なかったのですが、好奇心で引き受けたのです、すいません。
私が初めて占いでお客さまからお金をいただいたのは、大阪にある大きなショッピングモールの出入り口のそばに、机と椅子とついたてを並べて作られた、イベントコーナーでの鑑定でした。
手相を10分で鑑定して料金は1000円。算命学の授業も受けたので、運勢鑑定も10分1000円。
山のように資料を準備してから最初のお客さまを鑑定したのですが、聞かれたことにこたえられない。間違ったコトを伝えたくないから、知っていることを伝えるだけ。
聞かれたことにこたえたいけど、わからない。お客さまの質問に対する回答例が書かれたマニュアルを学校からもらっていましたが、まったく役にたちません。
聞かれたことにこたえられない!
そんな状態が我慢できなくて、占い師としての活動はやめました。
夫の退職
占い師としての実力不足を思い知らされた私は、地道に働こうと思って、自宅の近所でアルバイトを始めました。
そんな私に向かって夫は、
「仕事を辞める」と言いました。
「転職する」ではなく「辞める」です。
「次の仕事を探す」ではなく「仕事をするのを辞める」です。
身体が動かないとか、病気とかではなく、仕事に行けなくなったようです。
ようです。というのは、なぜ働かないのか、本人に聞かなかったからわからないのです。
「働けない」なら私が働きましょう。
占い師としての実力不足を思い知らされたことが、悔しかったのだと思います。
社会に出てやる!
そんな感じで、私は働き始めました。
働きながら勉強
パート勤務を辞め、契約社員として入社した会社で働き、2年後に正社員として仕事をするようになりました。
夫を扶養し、子どもを大学と専門学校にそれぞれ入学させ、自分の天中殺の時期に結婚した意味どおり、イロイロありましたがなんとか暮らしていました。
子どもが大きくなると手がかからず、ほとんどの家事は夫がするので会社の休日になると私はヒマになります。
そこでまた、占いの勉強を始めるのです。
占いが趣味と職場で言うと相手からは「占って」という言葉がかえってきます。
そこで、休憩時間や休みの日を使って無料で鑑定させていただくことを始めました。
同僚や友人など、顔見知りの人の鑑定をさせていただくので、鑑定結果があたっているのかどうかを聞いて確かめる鑑定をするようになりました。
この頃にたくさんの方の鑑定をさせていただき、鑑定結果の答えあわせが出来たことが、プロとして活動している今、とても役にたっています。
上司の指示に従えず、
店舗アルバイト待遇に降格
12年間働いた会社では、最初はアルバイトとして飲食の店舗で働き、店長補佐、店長、マネージャーと昇進しました。
その後、会社が親会社から切り離されたことで、本社の事務の仕事に異動になりました。
しかし、本社で働き始めてしばらくすると、上司の指示に従わなかったことで、店舗に異動になりました。
正義感で行動したつもりでしたが、会社では通用しませんでした。店舗では、アルバイトと同じ仕事をするように命じられました。
アルバイトと同じ待遇となると、自分で勤務する時間を調整できなくなります。おまけに、嫌がらせなのか、自宅から一番遠い店舗へ配属されたので、通勤時間をあわせると拘束時間が1日20時間になるときもありました。
通信教育で学ぶ
アルバイト待遇になっても、会社員なので、週に2日の休みはあります。休日に自宅のパソコンを使って、いろいろとネットを検索していると、
「算命学サイト。無料占い」
の「無料」の文字に目が止まりました。
算命学の占いが無料でできるのがうれしくて、何度もそのサイトを見に行くうちに、サイト管理者が運営している通信教育に興味がわいてきました。
「受けたい!勉強したい!」
まとまった時間が取れなくても、勉強したいと思い、通信教育に申し込みました。
12年間
勤めた会社を辞める
通信教育を受けたことで、算命学の勉強が楽しくなりました。
だって、意味がわかるんです。これ以上面白いことはありません。勉強は面白い、でも、仕事の拘束時間が果てしなく長い。
本社で勤務しているときに上司にさからい、アルバイト待遇で店舗所属となってしばらくしてから、所属していた店舗を店長としてまかされるようになり、近くの店舗の店長職まで押し付けられ、すご~~~く忙しくなったのです。
アルバイト待遇なら、時間が終われば帰れますが、店長となれば帰れません。飲食店の店長って、良心的に仕事をしようと思うと、時間がいくらあっても足りないのです。
で、自分の時間が無くなる。
やりたいことが出来ない。
モヤモヤ考えているうちに夫の母がなくなり、夫は遺産を手にし、私にお金をくれました。これはもう運勢の流れが、仕事を辞めて勉強する、になっていると思いました。
そこで、2016年の5月に12年間勤めた会社を辞め、店舗を借りて占い師としての活動をしながら勉強を続けることにしたのです。
占いの館・教室を営業
2016年の8月から、店舗を借りて占い教室兼占いの館の営業を始めました。
でも、生徒もお客さまも来ません。時間があるからホームページ作りは進みます。
でも、このままでは家賃が払えなくなる。
それはヤバイ。
そう思った私は、同じ年の12月から自分で営業している占いの館の休館日に他の占いの館に出稼ぎに行くことにしました。
他の占いの館に出稼ぎ
大阪駅近くにある占いの館に週に1回、占い師として待機することになりました。
この館のシステムは、お客さまから受けた1つの質問に対して、占い師が10~20分で回答するものでした。
受付でお客さまから質問の内容を聞いて、その回答を占い師にさせるのです。
時間は10分~60分まで。120分の鑑定を希望されるお客さまもいます。
指名して鑑定を受けるお客さまがほとんどでしたが、占い師は誰でも良い、という方もいらっしゃいます。そんなときは、受付にいる人がお客さまをどの占い師に振り当てるのを決めます。
新人の私には10分か20分のお客さまが振り当てられました。私にあたえられた10分の時間内で、私はお客さまの要望に全力で応えようとしました。
質問には質問する理由があり、理由を解決しないと悩みの解消にはならない、という自分の思い込みから、館でも上司(占いの館の運営者)の指示を守れません。
お悩み解消のためのアドバイスに力を入れすぎたせいか、指名がつかなかったからか、リピーターが2名しかいなかったせいか、待機を始めて4ヶ月後に「もう来なくていい」というメールを占いの館運営者からいただき、占いの館待機は終了になりました。
店舗を閉めて
契約社員になる
生徒もお客さまも来なかった店舗を2017年の3月末で閉店し、同じ時期に占いの館をクビになった私は、収入を得るため、ハローワークから紹介された会社で、契約社員として働き始めました。
社会保険に加入できる最低時間である週20時間での勤務です。仕事の内容は、お客さまからのお問い合わせにこたえるサポート業務です。
会話や応対スキルを磨くにはピッタリの仕事です。
お客さまが聞きたいことを把握(はあく)し、わかりやすく回答して、お客さまの問題を解決する。
鑑定の実践経験が少ない私にとって、こんなにピッタリな仕事はないわ、と思えるぐらい素敵な仕事だったのですが、お客さまによっては「罵詈雑言」で私の全人格を否定をしてくる人もいます。
人間が持っている「陰」の部分をまともに浴びる感じです。
上司の理不尽な指示には従えない性格の私ですが、困っている人の問題解決のためには力をおしまず協力します。
でも、いくら協力したいと思っても、相手によっては通じないときがある。そんなことをたくさん学びました。
仕事にもなれ、お客さまを怒らせることも減り、余裕を感じるようになった2019年の新年会、奇跡は起きました。
新年会で救世主に出会う
2019年の新年会。契約社員は無料で参加できるので、参加しました。その、モツ鍋屋で行われた会社の新年会で私の隣に座った男性が、私の救世主でした。
当時の私の悩みは、サーバーを変えたことで、ホームページの宿命算出アプリがリンク先ページのターゲットに上手く飛ばなくなっていたことでした。
隣に座った30代の知的な男性に「初めまして」と挨拶すると、周りの人からツッコミが。
どうやら、一緒に仕事をしていたらしいのですが、私はまったく覚えていませんでした。
しかし、相手は私のことを覚えていて、プログラミングを理解していたので、私の悩みの内容を聞いて「すぐ直る」と言ってくれました。
まさか、と思いながらも、メールアドレスを交換して、新年会から2日後には、リンク先のターゲットに飛ぶようにアプリを修正してくれました。
身近なところに救世主がいるものですね。
ありがたいです。
契約社員の仕事を
辞めて専業の占い師になる
ホームページの問題が解決してから、身のまわりが忙しくなってきました。
鑑定のお申込みが増えたことなど、時間に余裕がなくなってきたので、2年間勤めた契約社員の仕事を辞めることにしました。
夫に、
「3月末で仕事辞めるから」
と言ったら、黙ってテレビの前から姿を消し、トイレに20分こもっていましたが、理由や、これからのことなどまったく聞いてこないので、このまま進めていこう、と思いました。
ま と め
専業の占い師になるまでの流れを書いてみました。
私の場合、自分の命式の仕事を表す十二支が「寅」で、日干が「丙」です。寅は「木」をあらわし、丙は「火」をあらわしています。
木が燃えることで火になる、という流れを持っているので、仕事で発生した気が自分を強くするということになり、流れに逆らわずに自然に行動することが合っている、ということになります。
上司には逆らっても運勢の流れには逆らわない、ということです。
私の場合は
・夫が仕事を辞めて主夫になり、私が働き始める。
・体力と気力の限界まで仕事をして勉強できなくなったときに、夫の母が亡くなり遺産を相続した夫からお金をもらって仕事を辞める。
・お金をもらって調子にのって店舗を借りて営業を始めてもお客さまが来ないから閉店する。
・占い師の仕事を続けたくて待機させてもらった占いの館を4ヶ月でクビになる。
・社会保険加入のために契約社員として働き始めて、トークの技術を磨く。
・トーク力が身についた頃にホームページの問題点を解決してくれる人と出会う。
・鑑定の依頼が増える
・占いだけに集中したほうが良いな、と思い始める。
どうしよう?
と思ったタイミングで六壬神課(りくじんしんか)で専業占い師になっても良いのか占ってみました。
結果は、
青龍であり、結末は、
六合ということで、大丈夫そうなので辞めることにしました。
運勢の流れにしたがったほうが良い宿命を持っている方の参考になることを願います。
2019年の4月1日から、専業の占い師になりました。
どうぞ、よろしくお願いいたします。
最後に、宮城県でタロット占いをしている占い師うづわさんのおかげで記事が書けました。
ありがとうございました。